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猿若町(江戸三座跡)
天保の改革(1830年~1843)の際、幕府の命により芝居町として誕生したのが発祥。1841年に堺町と葺屋町の芝居小屋が火災で焼失したのを機に、江戸の中心街から離れたこの場所に待ちを作り、江戸歌舞伎の創始者・猿若(中村)勘三郎にちなんで「猿...
若町」と呼ばれるようになりました。 猿若町には数多くの芝居小屋が立ち並びましたがだんだんと整備されていき、1714年頃には中村座、市村座、河原崎座(後の森田屋)の三座が興業を牽引、浅草寺参拝を兼ねた見物客が多く訪れ、江戸三座として江戸いちばんの娯楽街として発展していきました。明治時代になると政府が芝居小屋の移転を命じ、だんだんと休座する芝居小屋が増えたため、現在ではその面影はなく、当時を偲ぶ石碑が残されているのみとなっています。