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宝蔵門(仁王門)
仲見世を進んでいくと見えてくるのが「宝蔵門」です。この朱塗りの楼門は雷門と同じ、平公雅が942年に祈願成就の御礼として寄進したと伝えられています。門の左右には仁王像が安置されているためもともとは「仁王門」と呼ばれていましたが、度重なる焼失...
ののち、1964年に鉄筋コンクリート造り・本瓦葺きとして再建され、伝来の経典や寺宝を収蔵する経蔵を兼ねていることから「宝蔵門」と呼ぶようになったのです。 宝蔵門の提灯は高さ約3.75m、幅約2.7m、重さ約450kgと雷門のものよりひと回り小さいですが、左右に掛けられた銅製の吊灯篭とともに宝蔵門のシンボルになっています。江戸時代には庶民の社寺として多くの参拝客が訪れていましたが、元旦や涅槃会(2月15日)、仏生会(4月8日)、盂蘭盆会(7月15、16日)、春秋の彼岸の7日間には楼上に登ることが許されていたため「東都名所」として賑ったと伝えられています。 さらに門を通り抜けたあとで振り返ってみると、大きなわらじが目に飛び込んできます。この「大わらじ」は高さ4.5m、幅1.5m、重さ500㎏で、なんと2,500㎏の藁を使い、約800人が1か月ほど掛けて作っているもの。大わらじの奉納は1941年、山形県村山市出身の松岡俊三代議士が護国の象徴として納めたのが最初で、宝蔵門復元時に仁王像を彫ったのが同市出身の彫刻家・村岡久氏だったことから2度目の奉納をし、以降は10年に1度、掛け替えを行っています。大わらじには「これだけ大きな足をしたものが浅草寺を守っているのだ」と悪いものが恐れ除けていくという謂れがあり、「健脚」「無病息災」の御利益があるとされています。