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幕府公認遊郭
幕府公認の遊郭(公許の遊女屋を集め堀や塀で囲った区画)が最初に生まれたのは現在の静岡県の駿府。徳川家康が終焉の地である駿府城の築城を始めた際に全国から家臣や大工、商人などが大勢集められ、彼らの労を労うために造られたのが幕府公認の遊郭の始ま...
りと云われています。 慶長17年(1612)現在の東京人形町の北側の湿地帯を造成し1万5千坪もの広大な土地を廓として開業しました。当時は葦の原っぱだったので「葦原」と呼ばれていましたが縁起の良い「吉原」と改められました。 ところが明暦2年(1656)、幕府は江戸市街地の拡張や風紀上の問題から、浅草裏の日本堤への移転を命じられました。しかし翌年の大火(明暦の大火)で吉原が全焼したことをきっかけに新しいこの地である新吉原に全店が移転して来ました。以来、昭和32年(1957)売春法施行、翌年赤線(特殊飲食店街)が廃止されるまでの約300年に亘って営業が続けられました。